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商店街の歴史

なんで「大手筋」って呼ぶの?
大手筋の語源

大手筋商店街実は大手筋という語源は古く、豊臣秀吉の時代までさかのぼります。

文禄三年(1594年)、秀吉は伏見城建築により大手広庭を形成、 そこに大手門を築きそれより少し曲がって西方に道を作ったのが大手筋通りです。

伏見城に出入りする一番重要な道であったわけです。
記録としては享保十三年(1728年)作成の紀伊郡伏見御城図に「大手広庭の前、大手筋通りと云う」と書かれています。

交通規制とアーケード建設促進事業経過

昭和四一年七月 伏見警察署長と面談、交通規制陳情石山理事長以下五名(アーケードが建設されるなら車輌は当然通行止になるとの回答)
昭和四一年七月 伏見消防署長と面談、アーケード建設につき協力方、申し入れ 石山理事長以下五名
昭和四一年七月 アーケード促進委員会発足 河原井清委員長以下八名
昭和四一年八月 京都市建設局路政課森下係長と面談 石山理事長以下三役全員 (全面通行禁止が先決、アーケードはそれから、都市計画線撤廃も必要との回答)
昭和四一年八月~一一月 アーケード促進委員、京都、大阪、大津のアーケード既設商店街、研究、視察
昭和四一年一一月 臨時総会に於て全員賛成によりアーケード準備積立金開始
昭和四一年一二月 伏見選出市会議員三氏に、アーケードに本腰を入れるにつき顧問に就任依頼、快諾を得る 石山理事長以下六名
昭和四二年五月 市当局者と第一回正式会談
於 第一銀行階上ホール
市側 建設局長、路政課長、経済局長、
三市会議員、伏見区長、
伏見警察署長、伏見消防署長
商店街側 石山理事長以下理事全員



(よく検討して善処する旨回答)

始まりはすずらん灯設置
大手筋商店街の形成

人口の増加、深草に第16師団設置(明治41年)、交通の発達(明治44年京阪電車開通)、桃山御陵御治定(明治45年)、酒造業の発展(明治37年ごろより)、工業地帯としての発達(大正7年頃より)等により大手筋商店街の通行者が著しく増加し、商店街的性格を高めようとする機運が高まりました。

 

 

 

 

 

多くの寄付金を得て約30基の街路灯を設置し、商店街としての形成を確立しました。

この街路灯はすずらんの花形取ったランプが5個ついているデザインで、大手筋の名物として好評を得ました。

いくつかの変遷を乗り越え
大手筋商店街の発展と変遷


すずらん灯により商店街としての性格をもった大手筋は繁栄会を結成、洛南一の商店街として一致団結し前進しました。

その後、太平洋戦争による鉄材供出によりすずらん灯は姿を消しましたが、その10年後に街路灯を復活しようという機運が高まり、木柱にアングルを取り付けた街路灯38基を設置。

夜の大手筋は光を取り戻しました。

365日、晴れの商店街誕生
初代アーケード誕生


昭和46年に電動開閉式のアーケードが完成しました。

その後、昭和48年ごろに大手筋の1番街~4番街の名前が付きました。

そして平成9年に現在のソーラーアーケードが完成。

楽しく快適にお買物ができる大手筋商店街へぜひおこしください。

〜今と昔〜
京阪電車、住友銀行のあたり


「カラーテレビでオリンピックを見ましょう」の看板。
日の丸の下に五輪の看板が並んでおり東京オリンピック(昭和39年)。
まだカラー写真は珍しかった頃です。

 

〜今と昔〜
八百清、さくら食堂


さくら食堂は、現在京阪伏見桃山駅すぐそばの「櫻」。

 

〜今と昔〜
センターパチンコ、さくら食堂


色は変わっていますがカラー写真のようです。
河原井氏より
左側に西野さんの桃山湯があります。
入り口の横にKIOSKのようなお菓子やがあったような・・・・・。
西野さん知らんっていうけど。

 

〜今と昔〜
キタムラ洋品店


キタムラ TEL FUSHIMI 777の看板(現電話番号075-601-0777)。
国体か何かの聖火ランナー。
写真から判断すると東京オリンピック以前のよう。
子供の目が輝いている。

 

〜今と昔〜
花びし


河原井氏より
花びしは私が始めてコーラなるものを口にしたところ。
年老いた女性二人でされていました。
奥の木造の建物が戦前の写真と同じです。

 

〜今と昔〜
カワライ毛糸(4連続)


一番上の写真は昭和10年頃。
スポーツ店をやっていたことがあります。
物が無い時代に進駐軍からの切れ端を使ってグローブを自主制作してたそうな。
今はNOVA

 

 

 

 

 

 

〜今と昔〜
カワライ毛糸(違う方向から)


写真は御召車、奥に浜医院の電柱看板が見える。
後ろは建築中の伏見会館

 

〜今と昔〜
東映パチンコ、塚本光月堂


塚本光月堂は戦前の写真の面影あり。

 

〜今と昔〜
中塚家具、みずたに


サンウェーブ流し台の看板が見えます。
この頃、ステンレスの流し台を持つのがトレンドであった。
中塚家具の2階の窓は当時のままのようです。

 

〜今と昔〜
二番街を東に向かって


左側に不二家の看板 があります。

 

〜今と昔〜
大手筋ガレージ


昭和38年1月29日大手会館ガレージ落成式式場

 

〜今と昔〜
丸京川魚店


カラー写真。この頃は大手川魚店であった。

 

〜今と昔〜
浅野屋、フェーメふじもと、ほそかわ


今と昔では大きく雰囲気が変わりました。

 

〜今と昔〜
タカノ・油長茶舗


油長茶舗の隣にタカノがあった。
どこのミニバンでしょう?ほしい。(K氏より)
→スバルのSAMBERのようです。

 

〜今と昔〜
若由ビルのあたり


油長の「宇治茶」ののぼりが見える。

 

〜今と昔〜
第一銀行

昭和34年年末売り出し風景

 

〜今と昔〜
ニューナゴヤ

この頃は、正村会館であった。
全国的に正村会館と呼ぶパチンコ屋が多かった。
それは、現在のパチンコ台の基礎を作ったのは正村氏であるから。
彼は、パチンコの娯楽性を高めようと改良に取り組み、
盤面の上部に四本の天釘を置き、
入賞口に玉を誘導する八の字の釘を配列した台を作った。
昭和二十五年のこと。
写真は昭和35年中元売り出し。

 

〜今と昔〜
ムラカミビジネス、学友堂

ムラカミビジネス、学友堂、みつや書店、ドラッグひかり、
ヨシダ時計、松本堂印舗の看板が確認できる。