京阪電車、
住友銀行のあたり
「カラーテレビでオリンピックを見ましょう」の看板。日の丸の下に五輪の看板が並んでおり東京オリンピック(昭和39年)。まだカラー写真は珍しかった頃です。
「カラーテレビでオリンピックを見ましょう」の看板。日の丸の下に五輪の看板が並んでおり東京オリンピック(昭和39年)。まだカラー写真は珍しかった頃です。
さくら食堂は、現在京阪伏見桃山駅すぐそばの「櫻」。
色は変わっていますがカラー写真のようです。左側に西野さんの桃山湯があります。
入り口の横にKIOSKのようなお菓子やがあったような・・・・・。
キタムラ TEL FUSHIMI 777の看板(現電話番号075-601-0777)。国体か何かの聖火ランナー。
写真から判断すると東京オリンピック以前のよう。子供の目が輝いている。
花びしは私が始めてコーラなるものを口にしたところ。
年老いた女性二人でされていました。奥の木造の建物が戦前の写真と同じです。
一番上の写真は昭和10年頃。スポーツ店をやっていたことがあります。
物が無い時代に進駐軍からの切れ端を使ってグローブを自主制作してたそうな。
写真は御召車、奥に浜医院の電柱看板が見える。後ろは建築中の伏見会館。
塚本光月堂は戦前の写真の面影あり。
サンウェーブ流し台の看板が見えます。
この頃、ステンレスの流し台を持つのがトレンドであった。中塚家具の2階の窓は当時のままのようです。
左側に不二家の看板があります。
昭和38年1月29日大手会館ガレージ落成式式場。
カラー写真。この頃は大手川魚店であった。
今と昔では大きく雰囲気が変わりました。
油長茶舗の隣にタカノがあった。どこのミニバンでしょう?ほしい。(K氏より)→スバルのSAMBERのようです。
油長の「宇治茶」ののぼりが見える。
昭和34年年末売り出し風景。
この頃は、正村会館であった。全国的に正村会館と呼ぶパチンコ屋が多かった。
それは、現在のパチンコ台の基礎を作ったのは正村氏であるから。
彼は、パチンコの娯楽性を高めようと改良に取り組み、盤面の上部に四本の天釘を置き、
入賞口に玉を誘導する八の字の釘を配列した台を作った。昭和二十五年のこと。写真は昭和35年中元売り出し。
ムラカミビジネス、学友堂、みつや書店、ドラッグひかり、ヨシダ時計、松本堂印舗の看板が確認できる。