伏見大手筋商店街の歴史

なんで「大手筋」って呼ぶの? 大手筋の語源

実は大手筋という語源は古く、豊臣秀吉の時代までさかのぼります。文禄三年(1594年)、秀吉は伏見城建築により大手広庭を形成、そこに大手門を築きそれより少し曲がって西方に道を作ったのが大手筋通りです。伏見城に出入りする一番重要な道であったわけです。記録としては享保十三年(1728年)作成の紀伊郡伏見御城図に「大手広庭の前、大手筋通りと云う」と書かれています。

始まりは
すずらん灯設置
大手筋商店街の
形成

人口の増加、深草に第16師団設置(明治41年)、交通の発達(明治44年京阪電車開通)、桃山御陵御治定(明治45年)、酒造業の発展(明治37年ごろより)、工業地帯としての発達(大正7年頃より)等により大手筋商店街の通行者が著しく増加し、商店街的性格を高めようとする機運が高まりました。

多くの寄付金を得て約30基の街路灯を設置し、商店街としての形成を確立しました。この街路灯はすずらんの花形取ったランプが5個ついているデザインで、大手筋の名物として好評を得ました。

いくつかの変遷を乗り越え
大手筋商店街の発展と変遷

すずらん灯により商店街としての性格をもった大手筋は繁栄会を結成、洛南一の商店街として一致団結し前進しました。その後、太平洋戦争による鉄材供出によりすずらん灯は姿を消しましたが、その10年後に街路灯を復活しようという機運が高まり、木柱にアングルを取り付けた街路灯38基を設置。夜の大手筋は光を取り戻しました。

365日、晴れの商店街誕生
初代アーケード誕生

昭和46年に電動開閉式のアーケードが完成しました。その後、昭和48年ごろに大手筋の1番街~4番街の名前が付きました。そして平成9年に現在のソーラーアーケードが完成。楽しく快適にお買物ができる大手筋商店街へぜひおこしください。